2008年3月 7日 (金)

家族の会話 その今昔

 原田重光です。我々の少年時代は親兄弟姉妹、家族同士はいつでも語りかけて大笑いしたり叱られたりしたものです。 新聞、読書、パソコンの最中ならば一時停止すれば支障なく会話できますが、テレビ漬けの昨今、番組は一方的に進行しますから語りかけることは相手に迷惑との配慮が必要になりました。思いついたその時に語りかけるのが本当は生きた会話なのですが、テレビ視聴も重要なので仕方ありません。でもくだらない番組もありますネ。孫達もテレビやゲームに熱中しているので彼らに対しても同様の配慮が働きます。これらの機器は子供達同士の会話をも阻害している筈です。

 一日は24時間一定。この時間をどう使うか?大人にとっても子供にとっても難題です。最近の親御さん達は職業においても益々多忙、そんなこんなで家族の意思疎通が益々困難な時代となりました。孤独に置かれた子供達はケイタイ上に友人を求め、あらぬ大人に誘惑される悲しい事件が激増。ケイタイ業者の「規制されたら事業が成り立たない」との言葉に私はあきれています。社会に有害な部分は事業から除外されねばならない筈なのに。

 情報化社会が進めば進むほど大切な家族間の情報交換、つまり会話が逆に阻害されています。あゝ、何たる矛盾!メルコがケイタイからキッパリと撤退しました。草創期以来の関係者の皆様、ご苦労様でした。

 問題は情報分野に限りませんネ。需要が有れば何でも供給される先進国社会では歩きたくない大人、ナイフを使えない子供、ころんでも手をつけない子供が増えました。文明が人間本来の能力を減衰させつつあります。私は長生きして世の行く末を見極めたい!悪趣味ですかネ?

 

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2007年12月22日 (土)

髪の色

 昔はじめてヨーロッパに降り立った時の第一印象は人々が髪の色と服装の色との組合わせを楽しんでいる風に見えたことでした。髪は褐色系ですがその彩りと曲がり具合が一人一人異なるので服装まで個性的に見えました。眼も色々です。

 彼らはこの多彩な髪に囲まれて生まれ育ったからつい心が弾みあの美しい音楽や楽しいダンスも自然に湧いてきたのかも知れません。色の組合わせである色調や音の組合わせである和音に昔から魅力を感じていたのでしょう。その美しい音楽が祈りと融合して生まれたのが教会の荘厳な多声音楽ではないでしょうか。昔ヨーロッパでは音楽ホールなど未だ無い頃からミサに行けば誰でも以前から伝わるグレゴリオ聖歌に加えてこうした多声音楽も聴きながら祈りができたので人々は自然に教会と結びついていたのだそうです。

 さて、日本人は皆黒い髪と黒い瞳です。黒は灰色や白とともに無彩色ですから飾り気がなく清らかです。従って日本人は服装も趣向も地味で落ち着いたものとなり色の組合わせではなく書道や水墨画の様に白と黒だけで表現する独特の世界に親しんできたと思います。白い障子、白と黒だけの碁石、色を全く用いない白木造り等々は清らかな「単純の美」そのものです。白無垢のあの姿などは私には世界一美しく見えるのです。

 勿論、友禅染や輪島塗など有彩色による優美な和服ほか高級伝統工芸品も沢山ありますし江戸小紋のような粋なお洒落もあります。これらが日本人によく似合うのは和服にも黒い髪結いにも繊細な「清らかさ」と凛とした美しさがあるからではないでしょうか。西洋の「重厚・豪華」に対して「清らかさ」と「優美」は日本の誇るべき伝統美だと思います。料理にも同様の違いを感じます。

 音楽に於いても私達日本人は音を組合わせた和音や軽快なリズムといった重厚・豪華な響きよりも、尺八、笛、鼓、三味線、謡、詩吟の様に主として清らかな単音の響きを究めてきました。日本民謡には清流の美しさを感じます。そのリズムは時計の如き刻みではなくあの小節(コブシ)の利いた節回しです。実に絶妙で、思わず惹き込まれます。祭囃子の響きには澄み渡るリズムを感じます。

 日本人は流儀・作法を重んじ何事も右へ倣えで個性にやや乏しいと昔から言われてきました。それはどの人の髪も黒くて清らかだからかも知れません。でもこの流儀そのものが日本らしさであり、この“らしさ”こそが日本の美しい精神文化を今に伝えてくれていると思うのです。どの民族・地域にも“らしさ”がありそれが大切に守られています。

 西洋人の多彩な髪は西洋の“らしさ”に基づいて華やかで分厚い文化、個性的で楽しい文化を育んできた。一方日本人の黒い髪は“日本らしさ”に基づいて心にしみ入る「わび・さび」の文化、自然との調和を重んずる清らかな文化、人の和、礼節を重んじ「恥」をわきまえたお堅い文化を育んできた。ここが西洋と日本の違いだ。そんな風に私には見えます。

 ところがこのお堅い部分をタブー視して60年、「恥」知らずで根無し草の日本人が増えました。かくて「ばれなければいい」と悪事を企む人や他人の迷惑を考えない人が増加、マナーは低下、悲しい事件が続発しています。あゝ、むべなるかな!ではどうする?

 と、まあそんな思いがしますが髪の話にしては飛躍が過ぎますかね?しかし教会学校や青年会など草加教会ならば安心です。神様から堅く見つめられていますから。エッ?アッ、そうですね、十人十色、誰しも個性をしっかり持っています。その発露ですね。

        カトリック草加教会文集「草の香」2007年クリスマス  原田重光

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2007年9月28日 (金)

孫達の情景

 原田重光です。愚息の方に5歳と2歳の二人姉妹の孫がいます。先日この二人が手をとり合って遊んでいるところをスナップ写真に捕らえて吾ながら大変気に入っております。二人は結んだ手に目を合わせ一見仲良く見えるのですが、姉の表情には何がしかの企みが感じられ、それに気付く筈もない妹の表情は純真無垢そのものです。

 妹が可愛くてたまらない姉ですが、この歳になるとしばしば支配欲も出てくる訳です。それに耐えかねて妹は体よくその場を外す、事の次第によっては泣き出します。外された姉は恰好だけでもと和解の努力を試みることもあります。しばらくはこの様な情景が続く筈です。

 娘の方の孫は中学3年と小学5年の二人の少年です。かつて兄は弟をからかう様にしていじめ、弟はこれに徹底抗戦しますが勝てる筈もなく、事の次第によっては泣き出して突撃するのでした。しかし今この学齢に達して互いにそれが何だか恥ずかしいのか共存共栄の情景に変わっています。最近は私からカメラを向けられるのも恥ずかしいようです。そして兄は大人たちの雑談に加わるようになりました。

 孫達の成長に目を細めている分、こちらの老朽化は確実に進んでいる訳です。ついに前立腺肥大症の手術を受けたことでした。ジージの近況一筆まで。

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2007年7月 7日 (土)

久間発言

原田重光です。

 「しょうがない」の如き表現は被爆者と国民を逆なでし、自民党にとって大打撃になるであろう位のことを彼は予測できなかった様です。真に残念至極です。あれ以来、マスコミも野党もこの発言と安倍首相への非難ばかりに熱中しています。これもまた情けないことです。

 私は久間発言の直後、辞任前の7/2に読売新聞「気流」に次の拙文を投稿しました。久間発言には敢えて触れずに書きましたが多分見送られるでしょうからここに公開致す次第。

【表題】終戦の歴史 正面から学ぼう

 日本に降伏を求めるポツダム宣言が発表されたのは沖縄陥落後の1945年7月26日だった。宣言は「受諾シナケレバ完全ナル壊滅アルノミ」と結んでいる。原爆の予告であったろう。しかし政府は廣島原爆の後も好条件の仲介をソ連に懇願し続けた。そのソ連はヤルタ密約によって長崎原爆の日に対日宣戦布告した。それでも閣議は受諾を見送り一億総玉砕の国家方針を貫く。やがて混迷した閣議は天皇にご聖断を仰ぎようやく受諾したのが8月15日の終戦である。もし原爆投下がなかったらご聖断を仰ぐこともしなかったと思う。であれば一億総玉砕、又は米ソによる民族分断は必至だった筈。無差別殺戮の原爆によるあの惨状は痛ましい。だから核廃絶を訴えるべきは当然である。しかし原爆が日本を亡国から救った、それ程に日本政府の視野は狭かったとも言える。私達はこの歴史をよく勉強し今後の外交と国防について広い視野で考えることこそ重要なのではないだろうか。

 「平和を守ろう」というスローガン程具体性に欠けた言葉はないと思います。原爆投下は倫理的にもあってはならないことです。しかし原爆を非難するだけだと世界から「でも終戦を遅らせたのは視野の狭い日本政府だったことをあなたは知っているのですか?原爆投下が無かったならどうなっていたと思いますか?」と質問されるでしょう。これにチャント答えられる“平和運動家”は少ないのではないでしょうか。そこが問題ですね。 つまり戦後63年近くなっても相変わらず感情論でしか物事を語れない日本人では世界に理解しては貰えないと思うのですが如何?

 

  

  

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2007年6月27日 (水)

私の健康法

昨年にコナミスポーツを三菱電機が法人契約をしたとの連絡を受けていましたが、

やっと今月から大阪梅田のコナミスポーツと契約して、ジムと水泳に精を出す事にしました。

幼少時代兵庫県の田舎の川で横泳ぎといぬかきしか出来なかった私が70の手習いをはじめたわけです。平泳ぎと背泳だけは何とかこなせるもののクロールが出来ず、毎日ほんとに少しずつの進歩でいつになったら隣の人のようにスイスイ泳げるか不安限りなき昨今です。

息つぎの問題らしくこの克服に必至です。皆さんよいヒントがあれば教えてください!

幸い朝起きてからここ数年間の自己に課した15分弱の体操が効を奏してか身体のどこも影響は出ていませんが、今年中には25メートルプールをスイスイクロールで泳ぐことが目標です。左右の冠動脈にステントが入っていますが主治医はOKとのことでスタートした次第です。ジムのコーチの体力測定は50才台後半の判定でした。

カラオケだけでは当然のことながら体力維持は無理ですので一念発起恥ずかしながら始めた訳です。

                                            大阪北人

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2007年6月14日 (木)

「ベビーカー事故」掲載

 原田重光です。「親にも責任 ベビーカー事故」と題して去る5/26に本欄に投稿しました。それが6月2日付読売新聞「気流」に掲載されました。購読の方はご一読を。但し一部に修正が施され、私が最も言いたかった「親の安全意識という視点からの報道もあって然るべきと思う」がカットされています。ま、しかし全国、何千何万人かのお母さん方が読んでくれるなら嬉しいことです。

 ところで、昨日のNHKテレビが、小田急線の駅で中年の女性が電車のドアに指を挟まれたまま何メートルか引きずられた後やっと停車、その時ホームに転落して怪我をした、と報じていました。つまり発車間際の無茶な飛び込み乗車です。類似事故連発にも拘わらず,このニュースではドアの隙間15ミリのセンサー不作動は報じましたが、無茶な乗車に対する他の乗客の非難の声(マイクを向ければ有った筈)を取材していません。真に残念!!

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2007年6月11日 (月)

海の家

週末には 運動のためサイクリングをしています。

材木座、由比ヶ浜の湘南海岸沿いは 海風が快いサイクリングロードですが、夏は海水浴場として賑わいます。

まだ 6月に入ったばかりですが 材木座、由比ヶ浜では もう 海の家の建設工事が始まっております。わずか2-3ヶ月の営業期間であるため 砂の中に柱を打ち込む程度の仮設方式ですが、今年は 好況を期待してか 店の規模が大きくなっているように見えます。この商売は お天気次第でしょうが、今年の夏はどうなりますか。

紫陽花の季節になりました。雨にさく紫陽花は寂しい感じで 華やかな薔薇にはかないませんが、この風情もよいものです。

小町のご隠居

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2007年5月26日 (土)

親にも責任 ベビーカー事故

 原田重光です。 この事故で私は黙っておれない気分になり、下記の通り読売新聞に昨夜投稿しました。万一掲載されれば日本中の親たちが読んでくれる。ま、しかし掲載は望めませんので本ブログに発表致す次第。

 親にも責任 ベビーカー事故

 24日山手線でベビーカーがドアに挟まれたまま20メートル引きずられる事故が起きた。周囲にいた人達のとっさの連係プレーで母子とも軽傷で済んだのは真に幸いであった。この人達の行動を賞賛したい。

 ドアの安全装置の確認、駅員の安全管理の更なる努力が必要なことは言うまでもないことであり、新聞テレビでもこの点を強調した報道になっている。しかし私はこの種の事故においては乗客の側、今回は母親の責任と反省も極めて重要であると思う。ニュースを聞いてその様に思った人も多い筈。親の不注意が赤ちゃんの命に関わることは勿論、交通機関や一般市民に及ほす迷惑も大きいからである。

 ご本人は十分に反省なさっておられることだろうが、親の安全意識という視点からの報道も有って然るべきと思う。相手の所為にだけ着目するのでなく、自分の安全は自分で守るという意識を社会に定着させたい。山手線は数分おきに発車しているのだから、特にベビーカーの場合は一電車待つ余裕が大切である。「慌てず余裕をもって行動」これが安全の基本なのである。

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2007年5月23日 (水)

ハイブリッドカー

ボストン コンサルティング グループが 世界の2500社の社長に 世界で “Most Innovative Companies”のアンケートを行いました。

Top25社の中で 1位は iPodやiTuneで 世界の音楽、映像のマーケットを変えたApple,2位は 今をときめくGoogleで 誰もが納得する順位です。

ところが 3位には トヨタが入っているのには驚きました。理由は GMを抜き 世界一になったのではなく プリウスにみられるハイブリッドカーで これから4年は 独走が続くだろうと言うことです。

このハイブリッドカーは 私もレンタカーで試乗したことがありますが、スタートが遅く 加速してもエンジンの吹き上がりもなく ドライバーにとっては まったくつまらない。ましてや 車台がカローラでは面白くない。 最近 発表されたレクサス600のハイブリッドに乗れば 違うかもしれないが、燃費を節約するならば V8でなくてV4の小型車に乗ればよいだろうと思います。

この他に 日本の会社として SONYとホンダが Top25に入っています。

10位のSONYは PS3のゲーム機で 3Dのバーチャル世界のゲートウエイを創った。12位のホンダは 常に燃料効率のよいマシンを作るだけでなく、ソラーパネルや燃料効率のよいジェット機を開発しようとしていることが評価されています。

投資家対象のキャッシュフローや株式の時価総額のランキングは見慣れていますが、経営者の視点からみた イノベーションの評価は 面白い。

PS3は 任天堂のWiiに敗れたことになっているが、ゲームの革新性は素晴らしい。ホンダのジェット機も成功するか分からないが その取り組みは 経営者にとってはうらやましいものかもしれません。

F1

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2007年5月11日 (金)

ラブレター

通勤電車に中で 肩の凝らない文庫本を読んでいます。

渡辺淳一の「ラブレターの研究」では 有島武郎、芥川龍之介、谷崎潤一郎、太宰治などの文豪のラブレターが 数多く披露されています。

いわゆる文士の身勝手な女性遍歴は 我々には違う世界ですが、それよりも 彼らのラブレターの中身が およそ文学的なものでなく まるで子供のような稚拙な表現になっています。

渡辺淳一は 恋する情念をストレートに表現していると肯定的ですが あまり いただけません。

それよりも 山本五十六が なじみの料亭の女将に送った手紙の方がよい。無骨な武人らしく “薔薇は もう咲きましたか。そのひとひらが散る頃は嗚呼、”と抑えた表現で 日付は 12月5日夜。すなわち 真珠湾攻撃の3日前。イミシンな表現です。

ラブレターも 最近は 多分 メールになっているようで 研究に値しないかもしれないが ネット上の小説が本になったり 映画化される時代だから 何が起こるか分からない。

小町のご隠居 

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2007年4月21日 (土)

地球環境問題について そのニ

地球環境問題について その二

<酸性雨>

化石燃料などを燃焼することにより、硫黄化合物(SOx)、窒素化合物(NOx)などが大気に放出され、これらのイオン物質が雨や雪に溶け込み酸性化して降ることにより発生します。

酸性雨は発生源から数kmも離れた地域にも影響を及ぼす性質があり、国を超えた地球規模での取組みが必要です。日本国内では酸性雨による直接的な被害は認められませんが、一般酸性雨による被害は長い期間を経て現れると考えられているため、将来影響が顕在化するおそれもあります。

<エネルギー>

人類とエネルギーの歴史の大きな転換点は、18世紀の産業革命です。蒸気機関の発明等により、大量の化石燃料が利用されるようになりました。エネルギー資源には①化石エネルギー資源、②非化石エネルギー資源

がありますが、現在のエネルギーのほとんどが化石エネルギー資源由来です。

現在のエネルギーの消費は、北米、欧州などの先進国が半分以上を占めていますが、増加率は比較的低くなっています。一方、現在の開発途上国の消費量は小さいのですが、中国や他のアジア諸国の人口増加と工業化の進展

などから、大幅な上昇が続いています。

エネルギーの大量消費は、地球温暖化を加速させるだけでなく、化石燃料の枯渇という危機が表面化します。

現在のペースで消費が続くと、21世紀中に資源が不足し、利用できなくなる可能性もあります。

日本国産のエネルギーには、水力、地熱、風力などがありますが、必要エネルギの6%にすぎません。

資源の枯渇と同時に解決する策の一つが、新エネルギー(自然エネルギー、リサイクルエネルギー)の開発です。

「アイソス5月号エコ検定に向けての環境講座(黒柳要次氏著)」より

大阪北人

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2007年4月10日 (火)

地球環境問題について その一

地球環境問題について その一

最近誌上でよく見かけますが、ちょうど「月刊アイソス」5月号に解説記事がありましたので紹介します。「月刊アイソス」はISOThe International Organization for Standardization)の審査員向けの編集誌です。

私の専門は現役時代に永年携わった「品質」ですが、ゆきがかりで環境審査員の資格も取得したものです。 そろそろ今年度で終りでしょうが、品質主任審査員(審査及びコンサルタント)と環境審査員補(コンサルタント)として、ここ10年間都合のつく限り暇にまかせて携わってきました。

<地球温暖化>

地球温暖化対策の国際的な協定として期待されているのが京都議定書であり、1990年を基準として2008年~2012年の5年間において先進国全体5.2%の温室効果ガス削減を目指しています。

日本は6%の削減目標ですが、1990年から2003年の間に国内温室ガスは8%増えており、実質14%の削減が必要になっています。京都議定書では、京都メカニズムと言われる3つの経済的な削減のしくみ:①共同実施(JI)②クリーン開発メカニズム(CDM)③国際排出量取引が定められたのが特徴です。京都議定書はアメリカが不参加であり、中国及びインドは開発途上国のため削減目標がなく効果は限定的になっています。

<オゾン層の破壊>

1970年代の終りごろから南極上空のオゾン濃度が減少しはじめ、近年は南極大陸を覆うようなオゾンホールが観測されています。オゾン層破壊の原因は人工的に作り出したフロンガス等のオゾン層破壊物質です。

オゾン層破壊により有害紫外線が増加し皮膚がんや白内障の増加、免疫作用の抑制、動植物の生育阻害、農作物の収穫減少が懸念されています。モントリオール議定書により特定フロンの生産は中止されましたが、排出したフロンガスが成層圏に達するまで役15年はかかるため、オゾンホールは当分残ることが予想されています。

「アイソス5月号エコ検定に向けての環境講座(黒柳要次氏著)」より

大阪北人

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2007年3月11日 (日)

原発事故で思う

原田重光です。

 「もんじゅ」は大事故以来12年間も停止したままです。2年半前の美浜原発事故では5名の尊い命が犠牲となりました。裁判になったり書類送検されたりしていますが、どちらも設計の妥当性に遡ってまでは追求されていない様に私には感じら、腑に落ちないのです。法律ご専門の諸兄、なぜ追及されないのか教えて頂けると私も納得行くのかも知れません。

 「もんじゅ」の原因は高温ナトリウムの流れに直角に挿入されている細長い温度計が共振して折れたことでした。流れの速い河に竹の棒を挿して遊んだことのある少年ならばこれが振動を起すことは体験で知っています。振動すればクビレタ部分で折れます。温度計の設計者はこの共振をどのように計算しクビレの無い設計にどの様に配慮したのでしょうか?

 一方、美浜原発事故の原因は流量測定用オリフィスによって発生した渦が肉厚10ミリの配管を0.6ミリにまで減肉させていたことでした。渦は減圧沸騰(キャビテーション)を起し構成材を侵食するものとして昔から恐れられ水車や船のスクチューではこれを避けるよう配慮しています。オリフィスは新聞の絵で素人目でも分る程、渦の発生し易い構造です。流量測定には渦の発生しにくい流線型のベンチュリー管もあります。なぜこれを採用しなかったのでしょうか?欧米の原発でもオリフィスを使っているとの報道ですが、だからと言って設計が妥当だったとは言えますまい。JIS-Z8762「絞り機構による流量測定方法」にはこれら様々な測定器の設計規準が示されており、「管流に渦が無いこと」を条件にしています。実際に渦が発生し続けていたと言うのですからJISに反するだけでなく運開以来28年間の測定値にも疑問が生じましょう。「測定誤差は補正すればよい」とするならお粗末です。結局美浜では調査委員会も警察も「点検漏れ」だけに着目し設計の妥当性までは目が届いていないと私には思えるのです。

 両方とも、マスコミは大袈裟に扱って来ましたがその後どの用に設計改善されたのかされなかったのかについては触れていませんね。ハシャグ割には無知の様に見えます。

 設計は法律の対象外であって直接的原因だけが対象とされるのでしょうか?でも姉歯一級建築士の設計は規準を満たしていないとトコトン調査されました。この違いは何でしょう?

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2007年2月28日 (水)

VISTAは VISTAでも

MicroSoftが Windows Vistaを発表し PC業界では 販売の拡大を目指しているようです。開心さんも Vistaを いろいろ試して居られるようですが 評判はいまいちのようです。

国際面でも VISTAという言葉がはやりつつあります。

Vietnam,Indonesia,South Africa,Turkey,Argentinaの頭文字で 21世紀の大国候補であるBRICs(Brazil,Russia,India,China)の4ヶ国に続く つぎの発展が予想される5ヶ国のことだそうです。

南アフリカは 資源に恵まれて BRICに続く候補でしょうが、後は 規模的に少々物足りない気がしています。こちらのVISTAの行く末は MSのWindows Vistaより 不安です。

南アフリカには 一昨年 旅行しました。サファリ、ビクトリア大滝、ケープタウンなど ヨーロッパ、米国と まったく違った世界に感動しました。さらに 印象的なことは 南アの歴史の紹介に ホモサピエンス(現生人類)の発生は ここから始まっていると高らかに記載されていたことです。日本の歴史は 神代からと言っても 数千年のことですが、科学的な裏付けから 五十万年となると感心しますね。この国が 将来の大国になる可能性を感じました。

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2007年2月 3日 (土)

靖国参拝しました

原田重光です

 今日は靖国神社に参拝して来ました。カトリック信徒の或る知人から「よろしかったらご一緒にどうぞ」との案内があり、8名(内2名女性)で参拝となりました。私は遺族ではありませんがご親族が南洋で戦死なされた遺族もおられました。以前一人で行って拝殿の前に立ち二礼二拍手一礼で参拝したことはありますが、今日は奥の方まで進みました。初めての経験でしたのでご報告します。

 先ず参集殿の団体受付けに8名集合、入り口で履物を脱いで室内へ。ここで玉串料をお捧げして記帳。神官の説明「拝殿でおはらい、二礼二拍手一礼のあと皆さまのキリスト教のお祈りをどうぞ。次に本殿にて皆さまが用意なさった祭文奏上を代表者がお読みください」と。

 予定の時刻になって(この知人が予約していたようです)神官の案内で水で手を清め、拝殿に正座。参拝者は我々8人だけ。祝詞、おはらい、二礼二拍手一礼、「天にまします我等の父よ、願わくは・・・・」「めでたし聖寵満ち満てるマリア・・・・」「分裂のあるところには一致を。愛されることよりも、愛することを求めさせて下さい・・・・アーメン」とお祈り。次いで本殿へ。白木作りの廊下はヒンヤリとして身が引き締まる。柱列で囲まれたこの質素な空間には修道院のそれを連想しました。一礼して本殿に上がり正座。正面に鏡、その上の天井近くに明治天皇の御製二句。代表が祭文奏上「先の大戦において・・・カトリック信徒も多勢含まれ、ここ靖国に祀られています。・・・宗派は違えども尊い命を捧げられた方々・・・韓国・台湾の方々・・・魂の鎮かなることを祈り、感謝をお捧げ致します。カトリック教会信徒有志」。

 終戦の前、私の家には七つボタンの予科練の人たちが訓練民宿していました。この人たちが宿題の手伝いをしてくれたことが忘れられません。この方々も近くの知覧特攻基地から飛び立ち南に散って行かれたのでは、と思えてなりません。そんな思いもあって参拝した次第です。

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2007年1月 9日 (火)

初春大歌舞伎

久しぶりに 歌舞伎座に行きました。

幸四郎 十八番の弁慶勧進帳も良かったが、喜撰(百人一首でおなじみの喜撰法師)を 当代一の踊り名手の勘三郎と女形ナンバー1の玉三郎が踊った。ひょうひょうとした踊りの勘三郎が 玉三郎の美しさに翻弄されるところが ユーモアたっぷりで面白かった。喜撰法師は 百人一首の坊主めくりでしか覚えてないが、坊さんには 今も昔も 酒好き、女好きがいたようです。

それにしても 玉三郎の艶やかさはなんだろうか。祇園の茶汲み女の質素な着物でも 姿、所作のひとつひとつが絵になっていました。

若い時は 西部劇や活劇映画が中心で 歌舞伎のようなものは退屈と敬遠していたが 日本の様式美に少々興味が出てきたのは 年のせいでしょうか。

小町のご隠居

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2006年12月28日 (木)

私の通信簿

原田重光です。

 いよいよ年末、部屋の片付けの最中に、昔から大切に保管している細長い筒が何だかタイムカプセルに見えて来ました。筒をポンと開きますと小さな紙片が出て来ました。昭和22年春、鹿児島の田舎の伊作国民学校卒業時の私の通信簿です。葉書大の馬糞紙にガリ版刷り。片付け作業は中断、しばし郷愁に耽りました。

 担任のT先生は今もご健在で確か90歳,年賀状を毎年戴いている恩師です。通信簿の備考欄にT先生は達筆なペン書きで次の様に書いておられます。

 「全般的に学習の態度は良好だと思ひます。然し今少し積極的に己を磨くと同時に他を導き啓発して行く態度が必要だと思ひます。学習の時間にも自己の意見を自発的に発表してみることが自分の力を確実にすることだと思ひます。算数に於いて計算に往々誤りのあるのは遺憾です」と。

 皆さんの通信簿はさぞかし眩しいことでありましょう。日頃の観察に基づくこの的確なご指摘は今でも私に有効であります。T先生は教師としてまさしく“優等生”であられます。最近は計算違いどころか聞き違い勘違いがひどく家内とのコミュニケーションがギクシャクになることも頻々であります。余生は長くありませんが最期まで先生のこのコメントをツッカイ棒として生きて行くつもりです。

 私の心に一番響く歌はやはり「仰げば尊し」です。今も絵の指導をなさっておられるT先生です。桜島を仰ぎつつカンバスに写しておられる鋭く優しい目つきが目に潤みます。先生どうかお元気で。 2006-12-28

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2006年12月27日 (水)

会計のマジック

こんな話が 現実にありました。

IT関連のS会社が 傘下に 100%子会社で 資本金 1億円、従業員数十名、売上数億円のA会社と 資本金1458億円、従業員数千名、売上数千億円のB会社を持っていた。

B会社が 赤字続きで 債務超過になりそうだ。そこで A会社とB会社と合併させて 小さなA会社を存続会社とし、B会社は解散。合併により A会社は 新たに株式を発行、合併差益 1200億円を計上、資本金は 1億円そのままにして 会社名を B会社に変更した。

結果は B会社の資本金は 1億円に減ったが、会社自体は 何も変わらず 累積赤字が一掃された。粉飾決算は違法であるが 会計的には こんなことも合法らしい。

“こんな手ありとは 信じられなーい”と言ったら 物知りの友人は 以前にも 三井住友銀行が わかしお銀行を合併して 三井住友の厖大な不良債権の赤字を一掃していたと教えてくれた。

ライブドアの粉飾は これに比べれば小さなものだが、合法的でなかっただけということになる。こんなことがまかり通る社会は どこかおかしいとおもいませんか?

なお S会社は ソフトバンクで B会社は ソフトバンクテレコム(旧日本テレコム)でした。

F1 

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2006年12月18日 (月)

MNP

MNPという3文字英語をご存知と思います。通信業界で 今年いちばんの流行語でありました。

Mobile Number Portabilityの略で ケータイの電話会社を変えても 従来の電話番号が そのまま使えると言う制度です。

今年の10月より実施されて ケータイ3社が このチャンスにシェアを伸ばす、あるいは 失わないために 大々的に宣伝を行い 競争が一段と激しくなったようにみえます。

序盤戦は KDDIのauが 独り勝ちと報ぜられていますが、本当の勝者は 電通と言われています。3社の広告を一人占めして笑いがとまらないようです。

携帯の通話料は 固定電話に比べて 高止まりしています。おまけに 料金システムが複雑で 比較に困ります。(これも 作戦のうちか?)これからの 本格的な競争で 価格が下がることを期待しています。

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2006年12月13日 (水)

クリスマス&歳末の風景

2006年も あと僅か。  街は 歳末大売出しとクリスマスのデコレーションで 飾り立てられている。夜のライティングは 色鮮やかで 省エネ、省電力のスローガンも この季節は忘れることになっているようだ。

クリスマスの飾りつけとして 植木に電飾をしたり ランプが点滅するトナカイを置くなどする家庭が多くなった。

日本人のクリスマスに対する扱いは 宗教心抜きで クリスマスツリーを飾り 贈り物をする祭り感覚が 世の中の大勢になっている。

古来 日本人が 外国の渡来文化について うまく吸収して 日本化して採り入れている。クリスマスも日本の歳末風景のひとつになったようだ。

日本では なかなかキリスト教徒が増えない。モルモン教の普及に来ていた若者が嘆いていた。クリスマスは定着しても キリスト教徒は増えない。これが 日本人の対応性だろうと思われる。

幼少の頃より いろんなお寺や神社で 八百万の神様に手を合わせる習いが身についている人にとって 神様はキリストだけ、聖書のみを信じなさいと言われても 辛いものがある。

ソ連の崩壊後 世界は イデオロギーの対立から 文明の衝突の時代(キリスト教文明とイスラム文明)に入ったと言われる。いずれも 排他的な一神教である。

仏教は いろんな仏様がおられ 厖大な経典があり さまざまな解釈があり 懐が広い。おまけに 神仏混交で いろんな神様があり 文字通り 八百万の神様である。これくらい幅広く拝んでおくと 排他的になるわけがなく 異教に対しても寛容になれる。

日本人の宗教感も捨てたものではなく、世界平和に貢献していると思うが いかがでしょう。

小町のご隠居

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2006年11月29日 (水)

国連大学

国連大学が 青山学院大学に面して 表参道にあることは知っていましたが、11月28日に 初めて行きました。

英国大使館主催で 英国政府の特別顧問であるNicholas Stern博士の講演を聴きました。Stern Review として 地球温暖化について 経済面からのアプローチとして 貴重と言われています。

産業革命以降 大気中のCO2が すでに1.5倍を超えており このままでは 今世紀末には 3倍近くなり 温度上昇は2ー5度となる。 被害は世界のGDPの5-20%に達すると予測され それもCO2を排出していないPoor Countriesに集中するだろう。 今から GDPの1%の対策費を出して抑えれば 被害は かなり抑制できる。これは Rich Countriesの責任である。

予測の幅が大きいのは 未知の分野であるためで ちなみに 5度の温度差は 氷河期と現在の気温差だそうです。

私が聴講したのは 日本の環境大臣である若林正俊さんの講演のサクラのためでありましたが、こちらは お役人が書いた文章の棒読みで 少々お粗末。

なお 国連大学は 設立30周年を迎えて 世界に12リサーチセンターがあるが、本部は日本にあります。Contributionの額も 断然トップで 1/3を占めております。このような国際貢献は誇りでしょう。

小町のご隠居

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2006年11月28日 (火)

「グッドデザイン賞」の弊害

原田重光です。

 毎朝NHK朝ドラを楽しく見ています。昭和初期の大阪の街の風景、とりわけ写真館の居住部分内装と家具調度品に見られる、懐かしい工芸的デザインに惹かれています。階段の手摺り、茶棚、照明器具など手がこんでいます。

 今頃の街角や、私の様な庶民の住まいには工芸的デザインは滅多に見られません。生産性重視の大量生産ばかりを尊重して来た結果でしょう。この傾向に拍車をかけているのが、戦後に始まり今でももてはやされているあの「グッドデザイン賞」ではないでしょうか。

 この賞のおかげもあって、腕の立つ職人は職を失い、センスのいい鍛冶屋さんはいなくなり、街角も室内も殺風景になり果てました。戦後復興はもうとっくに果たされたので、この賞は無用と思います。どうですかね林さん?

 入社当時の会議室の折りたたみ式イスは軽量パイプをへし曲げて作った便利なイスでした。確かグッドデザイン賞だったように記憶します。鉄パイプをへし曲げて作った生産性一点バリの机・イスは全国の小中学校で今も使用されている様で、いじめテレビニュースでほぼ毎日見ることができます。この机・イスが床面とこすり合って発せられるあのツンザク様なキシミ音に我慢しなかればならない子供達に豊かな情緒が培われるでしょうか?

 明治・大正・昭和初期の手の込んだデザインを見直したいものです。(2006-11-28)

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2006年11月27日 (月)

現代リアル学

慶応義塾大学は 創立者 福沢諭吉の影響からか 時代を先取りした動きをしています。共立薬大の統合なども その一例でしょう。

慶応の湘南藤沢キャンパス(SRC)も 情報ネットの世界では 村井純、国領二郎など著名な教授を抱えて リードしております。

このSRC研究所が  11月22,23日に 丸ビルで 現代リアル学と称して オープンのフォーラムを開催しておりました。リアル学とは聞いたことがないが、日頃 バーチャルの世界で研究しているので 反語的に使ったのでしょう。

RFIDを沢山埋め込んだスマート風呂敷など 何に使うかわからないものまで展示されていました。

フォーラムで 宮城県知事をしていた浅野史郎さんの話を聞きました。現在は SRCの総合政策学部の教授をしておられます。今 報道されている官製談合について その遠因の一つは 選挙にあると言ってました。選挙で支援してもらった団体や組織が 談合に関しては敵になる。人情として断りきれないことになりやすい。従って 初めの選挙から 団体や組織に頼ってはいけない。3期続けた革新知事の本音でした。

そう言えば 小泉純一郎は 金権や腐敗の話は聞かなかった。彼の選挙は 無党派層のフィーバーに頼っていたからでしょうか。 しかし それでも公明党の集票組織には頼らざるを得なかった。     余談ながら 竹中平蔵さんは 慶応のグローバルセキュリティ研究所の所長になっておられました。慶応のチームワークの良さですかね。

小町のご隠居 

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2006年11月20日 (月)

格差社会

格差社会と言う言葉が 新聞によく出る。小泉純一郎&竹中平蔵コンビで演出した改革劇で 格差社会が 一層顕著になっているそうだ。

たしかに 企業の業績は順調に伸びているが、労働者の給与額は伸びずに停滞している。いわゆる 労働分配率が低下している。この状況で 国民には増税、企業は減税とはけしからんと言う話になってくる。

とは言え 日本の給与水準は 世界レベルでは高くて 国際競争力がない。高い賃金を避けて 東南アジアに拠点を移す趨勢に歯止めがかからなくなる。企業の所得税は 欧米、シンガポールなどに比べて高いので 企業も逃げていく傾向がある。

結局 日本全体のコストが高くなり 生活するにも 企業活動を行うにも 経済的でなくなっているようです。役人が多いだけでなく 社会の中にも 多くのムダがあり 非効率なシステムになっていると思います。

小町の隠居

PS. 松坂大輔の60億円の交渉権には 驚いた。松坂の契約金+8シーズンの年俸総額は14億円らしいので 差し引き 46億円が 西武球団の儲けになる。親孝行の息子ですなあ。こんな子供を持ちたいものです。

スポーツ選手の年俸格差は大きいが これについては あまり格差の話も出ず 当たり前になっている。勝負の世界で 競争がフェアであるためか あるいは 高嶺の花で諦めているのか。

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2006年11月 8日 (水)

集合知

最近 集合知という言葉をよく見ます。 Collective Intelligence あるいは Wisdom of Crowds の訳語らしいが、ウエブの第2世代と言われるWeb 2.0のキイワードになっているようです。Wisdom of Crowdsの著作も出ているようです。

一人の専門家より 多数の素人の知識の方が よりよい結論を出す。ネット辞書のWikipediaやオープンソフトのLinuxなど 多くの人の知識が結集してできた集合知としての産物の代表でしょう。

民主主義という社会制度や自由競争による市場原理の経済システムも 多数の選挙民や多数の消費者(顧客)の支持は正しいという前提に成り立っているもので 集合知のコンセプトと一致します。

“3人寄れば文殊の知恵”ーーー ことさら集合知などと新しい言葉を持ち出さなくても 昔から言われている 当たり前のことでした。

小町のご隠居

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2006年10月31日 (火)

奇跡の銀行

銀行の本質は シャイロックだと思っていました。

陽がさしている時に傘を貸し 雨の時には傘をとりあげる。弱きをくじき 強きを援ける。中小企業で 金繰りに苦労した私には ハゲタカ ファンドやハイエナ サラ金だけでなく 裏から資金を流しているメガバンクも シャイロックに見えます。

ところが 今年のノーベル平和賞に輝いたグラミン銀行のムハマド ユヌスさんには驚きました。

貧困者が多いバングラディッシュで 貧困の人に 無担保で資金を提供して しかも 98%の返済率を保って 事業として成り立たせている。 日本では考えられない奇跡のビジネスモデルと云えます。

もちろん 返済を得るためには 返済を忠実に行う女性を中心に貸し出し、5人組などのいろいろな仕組み、工夫を凝らしているようです。

ユヌスさんは マハトマ ガンジーのような人と言われているようです。借りる人には きっと聖人 神様に見えるでしょう。

日本の貧富の格差とは違うレベルではあるが まじめに働き 社会を支えている中小工業に融資する グラミン銀行のような銀行が ひとつ位出てきてもよいように思います。

興味のある人は 下記のグラミン銀行の紹介HPを見てください。やさしい英語で 少し勉強になりますよ。

http://www.grameen-info.org/

小町のご隠居

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2006年10月27日 (金)

大手町地下の農園

小町の隠居です。

10月26日 玉石幹事会の後 有志で 大手町の野村ビルの地下農園を見学に行きました。

地下で LEDやナトリウムランプで照明して 稲やハーブや野菜を栽培しています。高さ3メートルもあるトマトの木?に 実がたわわになっているのは 見ものでした。

この農園は 東京駅近くのビジネス街の地下でやっていることが珍しい。人材派遣業の草分けであるパソナの南部代表が 道楽ですよと言っていましたが、ここでは 農援隊ののぼりが立っていて 農業にインターンする人材の登録もやっていました。やはり ビジネスですね。

農業の後継者問題の話も聞きますが、農業への人材派遣の時代になったのかもしれません。

興味のある方は 下記を訪問してください。

http://www.pasona.co.jp/pasona_o2/index.html

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2006年10月20日 (金)

私の日本見聞録(第4回・最終回)

  (第1回:2006-10-10,第2回:2006-10-12,第3回:2006-10-15)

原田重光です

8 風呂

 よそ様の習慣をとやかく言うつもりは無いけれど、風呂は西洋のバスよりも日本の方が断然良い。あの狭いバスタブの中で体を洗うのは真に窮屈だし、下手すると冷たいカーテンが肌にペタッとくっ付く。立てば丸い船底で足元が滑りやすい。日本式では流し場が付いているから辺り中に湯しぶきを飛ばして思い切り伸び伸びとやれる。湯船につかると鼻歌も出る。

9 公共の場の彫刻

 この様な文化や習慣の相違という観点から放送大学のテレビで数年前「東京の公共彫刻」という講義(講師:女性のW先生)があった。共感を覚えたのでご紹介したい。結論を先に言えば東京では公共の場に女性裸体像が多すぎる。調査の結果これを見て「恥ずかしい」「居心地が悪い」と感ずる女性が少なくないことが分った。そんな女性の心理にもっと配慮すべきである。作品の芸術性の問題ではなく「公共の場」に裸体像は日本文化になじまない。ということであった。概要は次の通り:--

 明治以来、近代国家建設の理念にピッタリの記念碑彫刻が東京の公共の場を埋め尽くした。その全てが偉勲、英雄、政治家、などの男性像であった。戦後その武装の男性像の多くが撤去され、非武装の女性像と交替、それがなんと裸体となり、公園、駅前、区役所、都庁に氾濫して今日に至る。

 ギリシャをはじめ地中海地方では昔から裸体がごく自然であってその「裸体文化」がヨーロッパに広まった。しかし日本では昔から「着衣文化」であって裸体になるのは風呂くらいである。ジョン・ヴァージャ氏は、彫刻を見て何らかのイメージを抱く時の公式として次の3点を示している。

 ①作品は作者の物の見方を示している。②しかしそれを見てどう感ずるかは見る人の個人的体験、境遇、性別、年齢、感性などによって相違が有って当然である。芸術作品の解釈はただの一つではない。③現在及び過去のあらゆる時代において男性は「見る側」に立ち、女性は「見られる側」に立っている。

 私的な場所と違って公共の場の彫刻は皆に共通の思い出、歴史、願い等を代表したものでないといけない。にも拘わらず人類の半数を占める女性の目に、恥ずかしい、共感できない、居心地が悪いと映る様な彫刻を敢えて置くのなら、その彫刻をそこに置く必然性の説明文を添えて欲しい。そうすれば理解も得られよう。

 以上が講義の概要である。確かに多い。美術館や美術展と違って皆の憩いの場、安らぎの場、行き交う場に置く作品では設置する側と作者の双方に見る人の気持ちへの配慮が大切であるとの先生の主張には、私も全く同感である。    (了)

 

 

 

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2006年10月15日 (日)

私の日本見聞録(第3回)

   (第1回:2006-10-10,  第2回:2006-10-12)

原田重光です。

5 日本の誇るべき「単純の美」

 2000年夏、ニューヨークでロックフェラー・センター近くの「寿司田」(スシデン)という寿司レストランに入ったが客の殆どが外国人だった。近年アメリカで寿司店の人気が高いという。その理由の一つが内装の日本的な美しさと清潔感にあるらしい、と言われている。現代感覚の建築材料を使いながらも日本の伝統美を斬新な感覚で表現しているということなのだろう。直線と直角だけで白木造りの真っ白い障子に赤い一輪の椿、この「単純の美」はアールヌーボーやアールデコには無い日本の誇るべき美である。輪島塗や友禅、また建築物としての皇居新宮殿等々に見られる清らかで繊細な美しさは西洋の重厚なデザインとはまた異質の、品格ある美である。ね、林さん!

 日本建築に成る迎賓館が有ってもよい。上品な和風ホテル(旅館)がたまには有って安堵するのだが、我がマンション住まいに障子も床柱も無く和室文化からは遠ざかってしまった。床柱の落ち着きを知らない世代が増えた。

6 色と音

 繁華街は別として、日本の都会の風景は樹木が少ない上に灰色やベイジュ色、クリーム色が基本であって、どうも色彩に乏しい。室内にしても同様で例えば事務所において机、椅子、棚、壁、ドアがそんな色ばかりで味わいが無い。旧都庁舎跡地に完成した東京国際フォーラムは内装外装ともに灰色一色で、僅かにツートーン・カラーではあるがまるで建物丸ごとペンキの巨大な缶にどぶ漬けして引き揚げたあとガラスを嵌め込んだ、という様な恰好に見える。

 ヨーロッパのTGV、ICE、チザルピーノ、ユーロスターなどの長距離高速列車の社内は色彩豊かでそれがケバケバしくなく非常に落ち着いた洗練された内装になっている。椅子やクローク、荷物置きの配列も多様であって楽しい。これに比べて東海道新幹線の内装は色彩に乏しく何の雰囲気も感じられない。突き当たりに広告を置くのは日本の伝統かも知れないがこれは目障りだ。外形にしても速いだけが能ではないのに流線型重視のあまりカッコ良サが無い。そしてビュフェーが消えた。つまり旅人を貨物扱いしている訳である。旅情どころではない。

 そもそも色というものは他の色との組み合わせではじめて味が出てくるものと思う。ね、林さん、違いますかね? 満開の桜の美しさはあの黒々とした幹と桜色とのコントラストにもある。葉桜もまた見事である。 日本では色使いもまずいので美しい景観は生まれにくい。街を歩けば雑多な色が飛び込んで来て、耳の感覚で言えばあたかもハ長調と変ロ長調など互いに異なる調の音楽を同時に聴かされて不快感を覚える様なものである。そう言えば先日は近所のスーパーで天井から「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が、足元のラジカセから「そーらん節」が同時に聞こえてきた。どちらも好きな曲だが一緒に耳に入ると内臓がネジ曲げられる。こんなことはしばしばで何の為に音楽を流しているのか訳が分らない。

 日本では目と耳いずれにとっても、美しさ、静けさより「目立つこと」「賑やかなこと」が優先され何の規制も無い。蛍光塗料を用いた看板や建物は勿論、ケバケバシイ原色、ケタタマシイ選挙カー、国会のヤジは何とかして欲しい。民放ではゲラゲラと騒々しい番組が多過ぎる。芦ノ湖では海賊船のラウドスピーカーが日本的風景を壊している。ザルツカンマーグートの湖船は静かな電動駆動だった。スピーカーはめったなことでは使っていなかった。先進工業国日本が先進国になるにはまだ時間を要するようだ。

7 髪の色

 昔初めてヨーロッパ(ハノーファー)に降り立った時の第一印象は西洋人が髪の色と服装の色との組み合わせを楽しんでいる様に見えたことである。この思いは今も変わらない。髪に彩りがあり、しかもそれが一人一人異なるから服装にも個性が生まれる。色というものは楽しいものである、ね林さん!だからお年寄りも色の調和を楽しんでいるように見えてお似合いである。彼らは楽しい色に囲まれているから心が弾みリズムが湧き出る。だから美しく楽しい音楽やダンスが生まれたのはごく自然だったと思う。

 その点我々日本人の髪はどの人も等しく黒である。黒は灰色・白色と共に無彩色だから他の色と調和しにくく色としては飾り気がなく清らかである。従って日本人は服装も地味で落ち着いたものとなり、書道や水墨画の様に、色の組み合わせではなく白と黒だけで表現する独特の美の世界に親しんで来た。白木造り、碁石などが白や黒であるのも同じ感覚であろう。我々が大切にする桜、米、豆腐、餅が白いのは偶然だろうか?音楽においてもアコーディオンの様な音の組み合わせつまり和音や軽やかねリズムと言うより、尺八、笛、鼓、謡など純粋で清らかな単音の世界を究めて来たと言えないだろうか(但し、津軽三味線の素晴らしいリズムは別格)。礼儀正しく流儀重視で何事も右へ倣えで個性にやや乏しいと言われるのも、どの人の髪も黒一色だからかも知れない。

 色彩のある髪は個性的で多様な楽しい文化を育み、黒い髪は「わび・さび」の文化、精神面重視のお堅い文化を育んで来た。ところが戦後自由を得たのは良かったが、教育の基本が精神面重視のこのお堅い部分を落としてしまい、文化の継続性を喪失して親も先生も右往左往、日本人は根無し草になった。

 と、まあそんな感じがするのだが飛躍が過ぎますかなあ。エッ、茶髪?ああそうね、やはり誰しも個性はチャント持っている、その発露だね。

                                       (つづく)

  

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2006年10月12日 (木)

私の日本見聞録(第2回)

       (前回:2006-10-10)

原田重光です。

3 街並みの美しさ

 日本では浜辺や山野の景色は四季の変化を映して大変美しいのだが、市街地となるとどう見てもまずい。雑然としている。東京では空気も濁っていて空が青くない。

 ヨーロッパでは殆どの町で旧市街が昔のまま保存または復元されていて歴史と伝統美を伝えている。新市街でもガラスと光を多く取り入れた現代感覚のビル群が周辺の樹木や芝生とよく調和していてこちらもまた美しい。空気も澄み切っているので空は青く、陽光を浴びて万物が輝いて見える。少し褒め過ぎだろうか?工場や倉庫の建物まで色彩に配慮が感じられる程である。これらをじっと眺めていると、建築設計者たる者は芸術家でもなければならないと言う考え方が当然のこととして根付いているのではないか、それを形に出来る職人の層も厚いのではないか、そんな気がしてくる。どうですかね林さん?

 「木造の日本と違って、石造りで地震も無いから永持ちする」と簡単に考えていたが、両大戦の記録映像をよく見ると殆どの都市でその石造りが爆撃で全壊している。にも拘わらずこれらを元通りに復元しているのには本当に感心させられる。古い建築様式と職人の技が輝いて見える。1999年に訪れた旧東ベルリンや戦禍の激しかったドレスデンではそれらの復元工事の真っ最中であった。ただその後2002年8月のヨーロッパ大洪水でこのドレスデンの文化遺産が復元の途中で甚大な被害を受けたのには心が痛む。パリでは4階建ての古い建物が沿道100メートル近くにわたって殆ど新築同然に改築中だったが昔の外壁を再利用すべく大掛かりな鉄骨枠組みで支えての工事なのである。古い建造物を保存または復元することは老人に安らぎを与え子供たちにその老人の心を継承させ、分厚い文化が蓄積されてゆく。そんな感じがしてならない。ね、林さん!

 大都会でも小さな町でも、歩いていると広場に出ることがよくある。そこでは昔ながらの噴水や彫刻がその町の歴史を語りかけ人々の交流が見られる。

 そんな目で日本の都市を眺めると、神社仏閣及び一部の住宅地や奈良京都を除いて、古い建物は壊され街に継続性が無いので古里は遠のき、そこは新規建造物の単なる集合としか見えない。東京では様々な看板と無味乾燥な灰色のコンクリートが目立ち街並みに景観美を感じない。戦後地下鉄銀座駅入口に置かれた小さな彫刻「マーキュリーの像」は爽やかな女性を感じさせて好きだったのに、いつの間にか地下深い改札口の隅に移設されている。その台座に「笠置秀男の作 昭和26年銀座駅入口に設置 昭和39年銀座総合駅開業時にここへ移設」とある。再開発という美名のもとに柳と共にあっさり追いやられた訳だ。お江戸日本橋は「便利さ」の薄暗い床下で怒っているし、近くに立つ澁澤榮一翁の像はもっとひどい場所で怒っている。古いものはどんどん見捨てられる。

 上野駅を外から眺めれば昔を偲ばせる貴重な正面玄関は絡み合う陸橋群にすっかり埋もれてしまっているし、駅の内装は綺麗に改装されたが中央広場の切符売り場周辺の色づかいはなんとも幼稚だ。新宿駅南口の一等地では甲州街道を跨ぐ巨大な陸橋が造船所のクレーンと見まがう程の不釣合いをさらしている。一般住宅に目を転ずれば能率主義のコンピューター設計の所為か大量生産による見せかけ重視の壊れやすいきゃしゃな工業製品の寄せ集めの感じがしてならない。イミテーションが多く、鉄、木、竹、石、煉瓦などの素材感に乏しい。

4 それは何故か?

 雑然とした街並み!何故こうなったか?設計者にとって街の建物の設計は不愉快なのではないか。その原因は景観美や都市機能を含めた都市総合計画という概念がそもそも無い上に所かまわず看板と電信柱を並べる明治以来の固定観念と、ただひたすらに高速道路や横断歩道橋を渡す無神経な便利主義にあると思う。折角美しい斬新なビルを設計しても様々な看板がこれ見よがしに取り付けられ、屋上には巨大な空き箱同然の広告塔が乗せられ、時には垂れ幕もぶら下がる。色の取り合わせなどはもうメチャクチャである。更に自動販売機も加わる。設計図面とは似ても似つかぬ化け物となる。街並みに調和や景観美など作りようがない。

 交差点に立って見通せば、おびただしい数の電信柱と蜘蛛の巣の如き電線、そして道路に直角に設置された様々な看板に隠れて建物の顔(ファサード)は見えにくい。高速道路や横断歩道橋の沿道はみじめなものである。銀座通りでさえ道筋直角型看板と広告塔が目立ち過ぎる。これでは設計者も職人も技の振るいようがなかろう。欧米では看板、広告塔は極めて稀である。しかもその中に日本製品の看板が少なくない。市街地主要部に高速道路は無く横断も橋でなく地下道にしてある。小さな町でさえ電信柱は無く、スイスでは送電線鉄塔は緑色に塗装してあるので美しい自然の中で殆ど目立たない。

 広告や表示類の弊害は室内でも同様で、例えば折角綺麗に新築または改装された駅舎や事務所で「トイレ」などとワープロ大文字で印刷されたペラペラの紙がセロファン・テープでベタベタと貼ってあるこの無計画と無神経。郵便局では壁のほぼ全面がポスターや掲示などで埋まり、全国各地名産品のカタログも並べられ、天井からはゆうパックのダンボール箱がぶら下がっている。

 看板不要とは言わないが何らかの工夫が欲しい。ヨーロッパでは昔から例えば皆さんご存知のように、工芸品のように個性的でしかも向うが透けて見える小さくて可愛い看板になっていて、これが観光名物になっている街もある。日本の街角に工芸装飾は少ない。日本では鍛冶職人が減少していると思う。もっと職人芸を取り入れるゆとりが欲しい。

 美しい景観の創出と維持には将来を展望した都市全体の設計や一定の規制が必要だが関東大震災後の東京はそのチャンスを生かせなかった。殆どの都市が焦土と化した戦後でさえ生かせなかった。そしていま汐留、品川駅前、六本木など各地で開発が進み海外建築家の作品も多いそうだが、総合的には何の計画も無い単なる高層ビル群に過ぎないとの批判が多い。その点、われらが岩崎家の丸の内は流石だと感心している。空想だけれど、終戦後の東京で、延長線上の彼方に富士山を置いた長い一直線の大通りを幾筋も作って並木を植えるという都市作りがもしなされていたなら、その沿道に高層ビルがいくら立ち並んでも富士山が隠れることは無いから、今頃はスケールの大きな美しい景観が生まれていたかも知れない。首都機能移転と新たなる首都設計に大いなる情熱と素敵な感性を持った指導者は現われないものか。そうだ、林さんがいる!          (つづく)

                                                         

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2006年10月10日 (火)

私の日本見聞録(第1回)

 原田重光です。

 定年退職後ほぼ毎年家内と二人で海外個人旅行をしています。と言っても欧米とハワイの交通の便利なところだけです。その旅で思った日本との違いを以下にしたためたく思います。4回シリーズで投稿します。

1 列車の指定席

 フィレンツェの美術館で「受胎告知」や「ダビデ像」などを鑑賞したあとローマのホテルへ帰ろうとフィレンツェSMN駅で列車に乗ったら予約している指定席に若者達が座り込んでいる。これもイタリア人気質かと思ったが指定券を見せるまでもなく彼らはスーッと席を空けた。後で分ったことだが欧米では指定客が来るまでは誰が座っても良いことになっている。そこが指定席になっているかいないかはその席に(コンパートメントでは入口に)指定席のメモ紙片が差込んであるかないかで分る。この方が座席の有効活用である。自由には座れない日本方式は無駄である。ついでながら、我が国では何事であれ明確な等級を差別と見る変な感情が浸透したお蔭で1等車が「グリーン車」表示となった。ところが2等車には表示が与えられていない。海外からやって来た観光客は戸惑うだろう。

2 スーパーマーケット

 たまには高級レストランで豪華な食事もする。その代わり大抵はスーパーで買い物をしてホテルの自室で安上がりの食事をする。この方がシャワーの後サッパリした姿でビールやワインを片手にゆっくりくつろげるし、二人で気楽に話しもはずむ。持って来た旅行用湯沸しポットでゆで卵もできる。

 そのスーパーだがこれまで13回の旅行で何十箇所も入ったけれど、概して静かである。音楽を流していてもそれは小さい。日本では音楽やお買い得品の連呼がけたたましい。また日本では多くのスーパーや店舗でポイントカードが付き物である。私の妻はこのポイントで得した気分になっている様だが、大きく見ればこれは錯覚であろう。ポイントカードによって流通や事務の効率が上がるとは思えないし、このカード係員の人件費やシステム維持費、関連する諸雑務、レジにおける処理時間を考えればそれなりのコストが発生している筈である。だからこの商法を導入しない場合に比べて消費者は平均的には高く買わされている筈である。だからこのシステムがある以上はポイントで取り戻して当たり前であって、得した訳ではなかろう。それとも資金運用上の利点か何かがあって消費者へ幾らかの還元がなされているのだろうか?魔法の客引き、錯覚商法としか思えないのだが?

 また「本日のお買い得品」なども何かを効率化した結果による場合もたまにはあろうが、大抵は錯覚商法であろう。新聞折込に注意しない私の様なボンヤリ人間は損をし、賢く注意深い人にその分がお得となって移転する仕掛けの筈だから、消費者は毎朝一生懸命に膨大な量の新聞折込に注意していないと高く買わされることになる。新聞販売店を覗いて見たがこの折込み作業は自動化されているとは言え紙の量と手間はかなりなものであった。売り手も買い手も余計な手間をかけていることにならないか?

 ま、しかしこれらの商法、大方の消費者にうけているのだから仕方が無い。そう言えば航空会社にもマイルがある。これも効率化に寄与するどころか余計な無駄と思う。空港でうっかり忘れて妻に叱られる始末である。

 今まで見かけたことは無いが欧米の店舗でもこんな錯覚商法が横行しているのだろうか。こんど行ったら注意して見て来よう。SALEは有るが新聞折込まであるのかどうかは分らない。お買い得品の連呼は無いようだ。ついでながらトマト、バナナ、リンゴなど計り売りで一個買い可能な野菜・果物が多い。レジ袋をくれる店も有るが有料の所も多く、皆さん買い物袋を持参している。日本ではレジ係員が極めて丁寧で、袋詰めするテーブルまで用意してある。我々日本人は目先のいわゆるサービスの良さ、対応の良さとか景品付きや上げ底、外見の豪華さ、そんなことに惹かれる傾向が強いと思う。それも値段の内なのに。新聞にまで景品を期待する。

                                              (つづく)

     

 

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2006年9月28日 (木)

労佐性狭心症について

経験のある方も多いと思いますが、未経験の方々へあえて投稿しました。

3年前に発病し結果的に1年弱でカテーテル検査及び手術にて7回の入退院(通算44日)で左右冠動脈に1本ずつステントが入ってます。

下記の解説のとおり全く典型的な例でした。

<症状>歩行などの運動負荷に突如として狭心症発作が出現し、休息すると発作は消退する

<原因>冠動脈の恒常的な狭窄による狭心症をいう、心筋の酸素需要が増加する労作時に症状が出現しやすい

おそらく現役時代の多忙時期でしたら見逃して大手術になっていたと思います。

いまは定期的に専門医(大阪・桜橋渡辺病院)に通院していますが、全く正常です。その時から、「自分の体は自分で守る」を信条に予防として、毎朝自分で定めた10分強の体操及び暇があればなだらかな坂道での早足チェックと1万歩の歩行を欠かさないように勤めています。あとはもしものとき(心臓以外で)は担ぎ込まれた担当医(必ずしも有名病院ではない)との出会いで寿命が決まると割り切っています。

大阪北人

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2006年9月27日 (水)

Happy Retirement

小泉ライオン丸のラストインタビューを TVで見ました。“処女のごとく現れ 脱兎のごとく去る”という言葉の まったく逆の就任、退任劇のようでした。

自民党をぶっこわす(実際は 自民党の金権政治と派閥政治をぶっこわした) 郵政民営化 靖国参拝などの公約を実行して しかも 支持率も高く 野垂れ死することなく 大手を振って退場するなんて なかなかカッコヨク さぞかし ご本人は Happy Retirementの心境でしょう。

立場は それぞれ異なるが だれもが Retirementを迎える。これほどでなくても せいぜい胸をはって Happy Retirement といきたいものです。

それにしても ライオン丸も 5年の間に髪が白くなっていた。ストレスがしのばれます。

涼しい季節になり 犬を連れて散歩をしていると 金木犀のさわやかな香りがします。庭木に 金木犀を植えている家庭が 意外に多いことに気ずきます。

いわし雲 金木犀の香りはえ (迷句です)

小町のご隠居

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2006年9月26日 (火)

少年時代の思い出・模型電気機関車

 原田重光です。

「ぺんぷらざ」という同人誌の2006年1月号に掲載の拙文を、同誌発行人の了解のもとに、以下に投稿します。長文で済みません。入会大歓迎します。

少年時代の思い出・模型電気機関車

 ヤッター!走った走った!私は畳にホッペタをこすり付けるようにして眺めた。なんとカッコイイことか。このときの感動と陶酔は今でも脳裏にこびり付いて離れない。

Photo  (写真をクリックすれば拡大されます)

あれは中学2年生の夏だった。ED14型模型電気機関車がトム式貨車1両を引っ張ってレイアウトの上を疾走したのである。全て自分の手作り。轟音と共に金属がこすれ合うツンとした匂いとラッカー塗装の夢見るような香りを放って目と鼻の先をかすめて通り過ぎる。貨車にはわざと重たい辞書と金槌を載せてあるから力強さが溢れている。地響きとまではゆかないが圧倒的な迫力と臨場感!これはもうたまらない。大袈裟に聞こえるかも知れないけれど、これが熱中している少年が実感した世界なのである。

===「ぺんぷらざ」にこれまで投稿した拙文を振り返ってみると25点中実に17点が世間様にケチを付けてみたくて書いたものである。だから今後しばらく趣向を変えて昔の思い出を書いてみたい。それにしても“原発事故は古典工学の軽視が原因”だの“護憲に疑問”だの、何故こうもケチを付けたくなったか?

 小・中学校時代、クラスの半分近くは県外や外地から迎えた疎開者や引揚者であって、彼ら彼女らは国語の朗読が先生よりも上手くて口も達者だった。立会演説会で熱弁を振るい生徒会々長に当選したT.J嬢、ピアノを先生より上手く弾くT.S嬢、合唱団を巧みに指揮するI.K君などにはびっくりした。視野が狭く鹿児島弁しか出来ない我々地元田舎者にはかなりのカルチュアーショックである。終戦直前には何故か「校内では方言厳禁。標準語励行」の方針が打ち出され、彼ら彼女らをお手本にするよう先生が馴れない標準語で厳しく言うのでこちらは益々元気が引っ込む。

 彼ら彼女らのおかげで田舎の文化レベルは突然向上したのであるが、言葉がそんな簡単に変えられる筈もなく終戦でこの方針は引っ込んだ。ただ気の毒であり真に申訳なかったのは一部の餓鬼大将が鹿児島弁の分らない彼らに喧嘩をフッ掛け、いじめたことである。

  私はもともと国語は苦手で大嫌いだった。更に口下手で声はか細い。そこへこのカルチュアーショックと劣等感が重なった。従って以来ズーッと引っ込み思案で、大人になっても言いたい事が口に出ない。今もその筈である。

 ところが、「ならばペンで」と定年退職で完全なる自由を得た頃から思いのたけを綴っては友人達に配るようになった。それが後に幸いにも本誌に引き込まれるきっかけとなった。下手な文章は仕方ないとして広く世間様にケチを付け、それを読んで頂けるというのは引っ込み思案の私には有り難い。そんな訳で本誌には柄にもなく生意気なことを沢山書いて来た次第である。

 これには中学時代の恩師Y先生の教えが根底にある。新憲法施行に際し先生は「自分の信ずるところを人前で堂々と言える人間になれ。それが言論の自由だ。分ったか!陰でコソコソ言うのがイッバン(一番)イカン!」と教えて下さった。

 では話をもとに戻そう。===

 あの頃は蒸気船や電気機関車など様々な模型作りに夢中だった。実用品も作った。針金とトタン板で省エネ目的の「蓋付き魚焼き」を作って創意工夫展に出品したら表彰状を貰った。自転車屋から貰ってきた古タイヤの切れ端を使ってブレーキ仕掛けを作り荷車に取り付けて母や姉達から有難がられた。2階にある6畳間が私の勉強部屋兼工作室であった。机と椅子を置き本立ては小さなのを自分で作った。6畳間と言っても畳は物々交換に出されて目の粗い板敷きのむき出しだった。真珠湾攻撃の前の年に父が病死したので兄が復員するまで我が家に現金収入は殆ど無く僅かな蓄えは価値が消滅、薪を買う金さえ無い。田舎とは言え筍生活だったのである。畳を剥がれたこの板敷きは如何にもハイカラな洋間に見えて気に入っていたし工作室としても具合が良く机の引出しは小物部品や半田鏝などで埋まっていた。

 さて模型作りにはモーター、減速用ウォームギヤー、車輪、蒸気機関、スクリューなど自分では作れない基幹部品を鹿児島市内の小さな模型専門店に買出しに行かねばならない。親友のH君やY君と、廃線になって今はもう無い南薩鉄道の超満員列車に乗って大人達の足元の隙間に潜り込む。二つのトンネルでは煙も侵入してくる。2時間近くの辛抱で西鹿児島駅到着。復興の槌音高く、焼け野原に多くの商店が戻りつつある。目の前の桜島は悠然としてそれを励ましている風であった。

 そんな一角に目指す中森模型店という専門店があった。店は小さいが様々な部品が棚一杯に並んでいて工作好きな少年達の夢を膨らませてくれる。Uコン模型飛行機用のエンジンには目を惹き付けられたが高価でとても手は出せない。今思えばこの前まで武器を作っていた中小企業が平和な精密模型作りに活路を見出した元気な姿だったに違いない。

 台風に襲われると雨樋が外れて垂れ下がる。これはトタン板で出来ているからブリキ鋏で切り取れば様々な物作りの材料に使える。中学時代、蒸気船を作りたかった。蒸気機関とスクリューはあの中森模型店で買って来て船体とボイラーはこのトタン板で作った。燃料は木炭にするつもり。過熱して破裂したら危ないので安全弁を自作したのだが、船に取り付ける前にボイラーを七輪の火にかけてテストしたら熱によって安全弁の半田付けが融けてしまった。これで蒸気船は失敗、火遊びはやはり危ないと納得し止めることにした。今思えばあの狭い燃焼室で木炭が威勢良く燃えてくれる筈もなかった。

§ ED14型模型電気機関車

 そこで次に熱中したのがこの鉄道模型だったように思う。鉄道で基本になるのは軌道幅。確かHゲージ、Sゲーギ、Oゲージ等大小幾つかの標準が決められていた。私とH君は24ミリくらいのゲージを選択した。体の大きいY君は30ミリくらいを選んだ。私の部屋で3人各々の好みで機関車を作ったのだが、ここでは私の機関車についてだけ述べよう。

 選んだゲージに合わせて車輪を買って来た。その他モーターやパンタグラフなど、買って来た部品を部屋に並べて先ずはじっくり眺めて味わう。それから自分にしか分らないであろう大雑把な設計図を描く。細かい設計は頭の中に立体的に描いておく。  ちょっと複雑になるけれどどうしても恰好良くボギー車にしたい。2車軸のボギー台車を2台、合計4車軸とし、各台車それぞれにモーター1台を搭載することに決めている。これらの基本設計に基づいて部品は買ってある。

 台車はその狭い空間にモーター、ウォームギヤー、車輪、動力伝達スプリング・ベルト、連結機などを組み込み、更に線路の曲がり具合に沿って左右に向きを変えられる様に設計しなければならない。電気配線のスペースも馬鹿にできない。これだけの重装備を考えると台車枠をヘラヘラのトタン板で作ったのでは直ぐに変形してしまうだろう。何で作るべきか?悩んだ。ふと思いついたのが厚手の銅板。父が生前に組み立てたでっかいラジオのアース線の先に20センチ×40センチ程の厚い銅板が縁側の下に埋めてあり、既に用を成していないので以前私が掘り出し何かに役立つかも知れないと小屋の隅に置いていた。それを思い出した。

 この銅板で台車を、トタン板でボディーを作った。窓は木工用のノミで丹念に切り抜き、針金を四角に曲げて窓枠とした。金属板をきっちり折り曲げるには定盤や万力が有ればいいのだがそんな工具は持っていないので、大きなオネジとメネジを近所のお兄さんから貰い、木の角材と組み合わせてなんとか物をくわえられる万力を作った。これはのちのち大変重宝した。台車で苦労したのは半田付けだった。銅は熱を伝えやすいので半田付けに手間取っていると、その熱が折角付けたばかりの他の部分に伝わってそこの半田付けが外れてしまうのである。コツは付けた部分を重しで押さえておくか洗濯バサミで挟んでおくか、或いは全体が冷えるのを待つ、などして素早く付けることであった。グズグズしたり入念は禁物と分った。 Photo_12 Photo_13

         

 デッキには昇降梯子と手摺を、屋根にはパンタグラフを、ボディー側面にはベンチレーター(換気鎧窓)とナンバープレートED145を取り付けた。台車の側面には軸受箱と板バネを取り付けた。これらはみな見せかけの模倣品である。正面には実際に点灯するヘッドライトを、デッキの下には実際に前進後退させるための切り替えスイッチを、台車の下にはコレクター(集電子)を取り付けた。最後にラッカーで塗装して機関車の完成。本物そっくりに見える。嬉しくて先ずは床の間に。

 レイアウトは直径1.5メートル前後の楕円形に作った。中森模型店で買って来たレール単品を1本づつ曲げてカーブを付ける。近所の建具屋から貰って来た障子の桟の切れ端を短く切って枕木にする。平らで広めの木板を探して路盤とし、その上にこの枕木をカーブがつく様に配列して釘付けする。軌道幅をチェックする為の板ゲージを作り、これでチェックしながらレールを枕木の上に釘付けしてゆく。さらに軌道幅の中心線には機関車に電流を通す為のワイヤーを張った。電力はこのワイヤーとレールから供給される。これでほぼ出来上がり。

 しかしエンドレスにグルグル回るだけでは単調なので直線コースの引っ込み線を設けた。このポイントを作るのには苦労した。先ず近くの停車場へ行って本物をしっかりスケッチしてその機能を実現できるように作る訳だが、ポイントの複雑で狭い軌道の中心にワイヤーも取り付けねばならないし、更に脱線防止用の補助レールも絶対に必要である。そしてポイントを円滑にスライドさせる為のメカも工夫しなければならない。でもこれらを何とかクリアーできた。

 変圧器も作った。隣のラジオ屋のおじさんに相談して大きな鉄心とコイルのお古を貰った。おじさんが貸してくれた巻取機に新しいボビンを取り付けてこのコイルをほどきながら改めて1次コイルを巻き、その上に2次コイルを巻いたように記憶している。 機関車のスピードを細かく変えたいので2次コイルは4ボルト位から20ボルト位まで細かく2ボルト間隔でタップを出した。木の板に円形に釘を何本も打ち並べ、その1本1本にタップを半田付けすることによってスライダックとした。これで電圧を変化させることによって機関車のスピードを変える訳であるが、スピード変化に伴ってヘッドライトが明るくなったり暗くなったりするのは我慢した。それから、屋根の無い貨車、つまりトム式貨車を1両作った。

§ 完成して

 これで一式完成。試運転してみるとあっちこっちで脱線する。先ず畳が凸凹しているので線路が不安定。これは畳と路盤の間にスペーサーとして厚紙等を敷いて解決。それでも駄目な箇所はレールをペンチで微調整する。それでもスピードを上げると外側へ乗り上げて脱線する箇所がある。そこには内側レールに補助レールを取り付けて解決。この補助レールは効果てき面だった。更にスピードを上げると遠心力でひっくり返った。これは当然である。数年前の東京の私鉄脱線大事故は補助レールが付いていなかったのが原因と私は見ている。JR西日本のあの速いスピードなら転覆脱線大事故は当然だった。こんなニュースに接する都度、少年時代の模型脱線事故を思い出す。

 実は高校2年の関西方面修学旅行まで電気機関車など見たこともない。立体交差を走る電車や電気機関車の写真や絵を眺めては都会を想像し憧れたものである。あの雑誌「子供の科学」にED14型電気機関車のカッコイイ写真が載っていたのでこれに決めたのである。その修学旅行では古都の美しさに目を見張ったのは勿論だが駅に停車する都度、車窓に見える本物の電気機関車にも目を見張った。しかし殆どがEF型でED型は遂に見当たらず残念だった。探し当てたのは社会人になってからだった。大変に懐かしかった。

 中学時代の夏休みの宿題の一つは工作だったので、私はこの模型電気機関車を抱えて先生に提出した。線路は直線の引っ込み線だけにしたので作品展示会で走行実演は出来なかったがそこそこ注目された。その翌年、私より1学年上、つまり高校1年生のJ先輩が「学園祭があるのだが、シゲミッチャンのあの機関車を展示したい。是非貸して欲しい」と言う。壊されたら困るなあと心配もしたけれど、かねて信頼しているJさんだし、こんな名誉なことは滅多に無いと思い快諾した。学園祭では特設展示場が設けられ、幕を払って中に入るとそこは薄暗くて雑然とした世界。Jさんから「シゲミッチャンご提供の・・・・」などと解説があってヘッドライトの点灯と同時に私の模型電気機関車がトム式貨車を引いて発車したではないか。私はもう内心得意の絶頂であった。

 このJさんは子供のころ囲炉裏端で左手に大火傷を負い、指は5本とも指として機能できない。それでも明朗闊達で親切な人柄が皆から慕われている。その不自由な左手を巧みに補助とし、右手に半田鏝を持ってラジオやアンプリファイアーを作ったり修理もするのである。高校の校内放送設備もその維持はJさんに任せてあった様に思う。あの雑然とした特設展示場はJさんのいわば仕事場だったのである。J先輩は高校卒業と同時に母校の正門前で電気店を開業、あれから半世紀、今もお元気で繁盛しておられる。帰省したら時々お会いして懐かしんでいる。

§ 回想

 ところで、あの頃は商品を売るだけでなく作ったり修理している店が多かった。隣のラジオ屋ではシャーシーを裏返して修理ばかりしていた。玉音放送はここで聞いた。菓子屋のおじさんはこね回した飴の大きな固まりを太い柱から突き出た棒に叩きつけては引き伸ばしていた。米屋では回転している精米機のベルトを長い棒でヒョイと架け替えていた。蒲鉾屋では大きなフカを包丁で切り裂き機械で挽いて練り回し、油で揚げると待っていた客が買って行った。時計屋のおじさんは片方の目に虫眼鏡をヒョイとひっ掛けて精密なカラクリを修理したり、ゼンマイ仕掛けの蓄音機の修理もしていて、回転速度を調節するガバナー仕掛けや速度確認用円板(ストロボ・スコープ)などの原理を教えてくれた。下駄やでは下駄の穴に鼻緒を通して結んでいた。豆腐屋のおばさんは早朝から冷たい水に手を入れてすくい上げている。トラックの車庫ではタイヤのパンク修理や時にはエンジンも分解手入れしていた。石材店では重たそうな石を切って磨いて彫刻している。鍛冶屋ではあの歌そのままの作業が見られた。建具屋では様々な工具で欄間の彫刻がなされていた。傘屋は竹を割り細く削って組立て、油紙を張って天井からぶら下げていた。ブリキ屋のおじさんはバケツを作り、雨樋の修理もしてくれた。魚屋の巧みな包丁さばきは見飽きない。桶屋では板を曲面に仕上げて組み合わせ、竹を編んで作った輪を嵌め、それを叩き込むとなんと風呂桶が完成。これに水を張って確認。漏れないのに感心した。歯医者は嫌いだったが、あのベルトによる自由自在な高速回転伝達機構には興味津々だった。近所の停車場へ行けば両脇に水タンクを抱えた蒸気機関車のピストン仕掛けが興味深く、蒸気力の凄さに見入った。

 他にまだ自転車屋、大工、テーラー、印刷、印鑑、ポンプ修理、牛から搾って清潔に処理して売る牛乳屋、製材所、瓦製造所など書けばキリがない。どの家も本業のかたわらで農業もしていた。この農作業では難儀したがこれまた多くの科学的興味と体験、そして収穫の喜びが得られた。

 我々の世代はこの様に大人達の物作り現場を日常的に見たり、手伝ったりして育った。そこに興味と疑問を持つことが出来た。大量生産の今、帰省してもそんな姿は見えない。最近大事故が多いが、職人気質は継承されているだろうか?あ々やっぱりケチを付けてしまった。       (完)

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2006年9月18日 (月)

カラオケ談議その2

2006.09.17付朝日新聞日曜版「元気のひけつ」によると、カラオケ店等の利用者は年間ざっと4700万人で国民の約4割にあたる。南越谷健身会クリニックの周東寛理事長によると「おなかを使うので腸や肺の運動になる。脳ではドーパミンやセロトニンなどの脳内伝達物質の分泌が増えることにつながる」、また「医学的なデータはないが、利用者からは不眠症や頭痛がなくなった」とのこと。

うまく歌うには、①歌う前にのどを慣らす(音域の狭い歌で慣らす)②おなかを使うことを意識する③歌詞をよく理解する④自分自身の声やイメージにあった曲を選ぶことです。とありました。みなさん大いに歌いましょう!  

大阪北人

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カラオケ談議その1

生活に有効な発明品は多くありますが、「カラオケ」ほど老人医療費の削減に貢献している発明品ないと思っています。8トラ時代に発明者は特許を取られなかったと聞いていますが、日本発で世界的にすばらしい発明だと思います。ウィークデイにカラオケ喫茶で老男女が新曲(歌謡曲)ばかりを追っかけて人より先に披露して楽しんでいる姿をよく見かけます。最近暇になってやっとチャレンジを始めましたが、まず歌詞を正しく暗記すること及び各拍子ごとに楽譜どおり正しく?歌うことに心がけています。たとえば、五木ひろしの「おふくろの子守歌」をカラオケだけ(文字画面なし)で歌うことは当分かかりそうです。すべての曲の楽譜があるわけではないので、聞いて確認するわけですから、どこまで正しいかは全くわかりません。ときどきカラオケで一人で2時間ほど歌ってみて、日々自分なりに進度が確認できれば納得しています。すべて脳の活性化にむけて役立てばよいわけですから。

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2006年9月11日 (月)

上には上がいるものだ

小町の隠居です。

いたるさんの聖岳の登山記を見て すごい鉄人と感嘆したが、それにコメントを載せている“たけぱぱ” さんのブログを読んで 上には上が居るものだと また感心。

聖岳で いたるさんと会って すぐに北海道へ渡り 幌尻岳、羊蹄山に登るとは よくやるなあ。しかも 写真も記事も くわしく こまめで面白い。

いたるさんも よい山男の仲間ができましたね。

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2006年9月 5日 (火)

50年会を無料にする方法

9月3日に開心さんの大船別邸で PCのレクチチャーと奥様の手料理のご馳走にあずかりました。

その際 耳寄りな話が出ました。

この玉石ブログで うまくやると玉石50周年会の費用を捻出できるかもしれないね。

最近のネット広告は ぐんぐん伸びて もうすでにラジオ広告を超えている。とくに ここ数年 Affiliate Programと称する成功報酬型広告が 最先端のマーケティング手法として伸びている。

その内容は クリック保証型やインプレッション広告など いろいろ多彩であり 広告収入も変わるが おおむね @5円ー30円ていど。

もし 玉石ブログを アフィリエイトに登録して 広告を稼ぐとすると どうなるか?

玉石会員 60名が 毎日 10回クリックすれば 

1年間の広告収入は @15円 X60名 X365日=328500円 となる。

全額タダにしようとすると クリックの回数を 100回/日にしなければならない。少々無理か。タダでなくても かなりの稼ぎは期待できそうだ。

いずれにせよ このブログに 玉石のメンバーが 毎日 全員参加することが大前提であるので 実現は前途遼遠、真夏の夜の夢かもしれません。

小町のご隠居 

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2006年8月26日 (土)

大阪北人

玉石会関西支部昼食会(2008.08.24恒例年2回 幹事馬場さん)報告

200608241406504_4 広島から参加の津田さんを含め14名参加。八木さんのポルトガル土産の高級ワインを頂きながら、豊富な体験談とワインエキスパート資格をお持ちの小野寺さんからワイン講釈を拝聴した。ワインは産地が狭くなるほど高価になること、5千円くらいで飲める「ボルドー(品種:カベルネ・ソヴィニオンが主体、英国名:クラレ)」、1万円以上の特級「ブルゴーニュー(品種:ピノ・ノワール)、英国名:バーガンデイ」など資料を片手に初めて聞く話に興味深深だった。今後は昼食会の合間に、ゴルフのみでなくハイキング(すでに7月実施済)も計画することで全員一致した。盛り上がった話題では、大連出身者が草川・山屋・馬場・杉本の各氏4人もいたことだった。確率的にも出身者が国内に多数おられることと実感した。定期的に元気なご様子とともにお互いの思いがけない貴重な話を拝聴できることが楽しみである。そういえば前回は草川さんの皇室の歴史の拝聴であった。

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2006年8月15日 (火)

8月15日

開心です。

私は終戦(敗戦)を鈴鹿で迎えました。我が家に近所の人が

大勢集まって玉音放送を聴きました。雑音が多く、良く分かりませんでした。

後で、父が”戦争が終わった”と呟いたのが印象に残っています。

最近面白い記事を見つけました。興味のある方はぜひ読んでみて下さい。

ここをクリックするとそのページに行きます。

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ブラックアウト

8月14日朝8時過ぎに お盆で空いた電車で東京駅に着いたところ 照明が暗く アナウンスがうるさく放送されていた。

停電事故により 京葉線、武蔵野線などは不通、ただし 新幹線は平常通り運転と やたらに新幹線はOKを繰り返す。

新幹線の当日券の発売カウンターや改札口は 暗闇の中。列車の電源は 別だから運転に差し支えないので お盆の帰省客に対して JR東日本として商売気のあるところを見せていた。

会社(浦安)に着くと コールセンターのオペレーターが システムダウンで手持ち無沙汰に座っている。

非常電源用のバッテリーは 約2時間ていど有効であるはずだが たまたま 端末系統のUPSが 20分しか持たなかったので 結局はアウト。おまけに お盆で SEが手薄。復帰するまで 1時間もかかり 慌てた1日でした。

幸い 仙台のオペレーションは 影響がなかったので 全停は避けられたが この後 主なクライアントに事故顛末を報告に廻らなければならない。

事故の原因は ご存知の通り 浦安近くで 浚渫船のクレーンが 高圧線に接触した ボンミスでありました。

それにつけても 零細企業の社長はつらいよ。

小町のご隠居 

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2006年8月 3日 (木)

Skypeを使ってみませんか?

開心です。

Skypeとはなにか?
インターネットに繋がったパソコンを使って行う無料電話です。
Skypeをインストールし、ユーザ登録をし、パソコンにマイク、
スピーカ、カメラ等を接続すれば世界中のSkypeユーザと無料
で映像付きの会話(所謂テレビ電話)が出来ます。
遠方に居る可愛いお孫さんと顔を見ながら楽しい会話が出来ます。
勿論玉石会の会員同士、顔を突き合せた話し合いもできます。
その他にも

1.有料ですが、世界中の固定電話、携帯電話と通話できます。
    (Skype Outと言う)
2.これも有料ですが、パソコンに電話番号を与え、固定電話、
    携帯電話から通話出来ます。(Skype Inと言う)
3.同時に最大10名が会話できる。(電話会議)
4.最近発売された、”どこでもTV for Skype”と言うUSBアダプタ
    (約1万円)を使えばSkypeを通して遠方のTVが見れる。
  例えば東京に居てアメリカの人気TV番組
    ”Saturday Night Live”がアメリカと同時に見れます。

こんな楽しいSkypeの導入方法、使い方等をこれからこのブログで解説します。

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2006年7月29日 (土)

はじめまして

はじめまして、開心です。

玉石会のブログを立ち上げました。

これから磨き上げます。未だ石です。
皆さまと一緒になって、立派な玉にしたいものです。
ご協力、お願いいたします。

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